ちどりのあしあと - 2012年12月

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2012年12月

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投票に行こう

材木座海岸

選挙権は国民ひとりひとりに与えられた力です。当たり前のことのように思いがちですが、66年前まではそうではありませんでした。

学童疎開に行かされたり戦争で辛い目に遭った私の母は、幼い頃、私の祖母である母親に「どうして戦争を止められなかったのか」と問い詰めたことがあったそうです。戦争末期か戦後すぐの話です。「考えてみればその頃、女性には選挙権がなかったのよねえ」母が思い返すと、祖母は困ったような顔をしていたそうです。

日本では、1946年に日本国憲法ができるまで、選挙権を持っていたのは25歳以上の男性のみでした。見落としがちですが、自分の意志を政治に反映させようと思ってもできなかった人たちがいたのです。

私たちは私たちが幸せになるために国の代表を選んでいます。当然国の代表は私たちの幸せのために働くべき人のはず。ところが、あれほどの事故があってもまた原発を動かそうとしたり、憲法を変えて私たちひとりひとりの力を弱くしようとしたり、自分たちの思い通りに私たちを動かそうと考えたりすることは、私たちの幸せを願っているとはとうてい思えません。

私たちは持っている力を最大限に使って、私たちが幸せに暮らす権利を守らなければならなくなりました。今日持っている力が明日は消えてしまうかもしれない。残念ながら今はそんな時代です。

投票に行かない気持ちもわからなくはありません。確かに、自分ひとりの力では海に砂を投げ込むような心細さを感じることもあります。しかし、たくさんの人の投げ込んだ砂は、新しい大地となって姿をあらわします。思い通りにならないことの方が多いのは確かですが、希望の大地を踏みしめることを夢見て、明日また、私は砂を投げに行きます。

アダムとイブ

John Liston Byam Shaw The Woman The Man the Serpent

たまたま見つけた、エデンの園のアダムとイブを描いたこの絵。John Liston Byam Shaw というイギリスの画家が1911年に描いた『The Woman The Man the Serpent』という作品です。

アダムとイブを描いた作品でお馴染みなのは、真ん中にはえた木に蛇が巻き付き、木の両脇に裸のアダムとイブがいる、という構図ですが、この絵では、全裸のイブが艶めかしく恍惚の表情を浮かべ、後ろに立つアダムの頭に手を伸ばしています。そのアダムの表情が特徴的で、明らかに強ばっています。下ろした右手はぎゅっと握られています。

アダムは何でこんなに緊張した感じなんでしょう。おそらくはイブの誘惑に耐えているんですね。キリスト教では、イブはしばしば性的誘惑の象徴として登場することがあるそうで、それに抗っているアダムが描かれているんですね。このアダムが男性全般の象徴か、作者を表しているのかはわかりませんが。

さらにこの絵を図像学的に分析してみたら面白かったので書いていきましょう。相変わらずのにわか勉強なので、解釈が間違っていたらご指摘ください。

さて、まず絵の右側はイブを表しています。上の方に見えるオウムは慎みのなさ、そのほかにも何羽か見える鳥は肉欲を表していると思われます。『動物シンボル辞典』(大修館書店)を見ると、こういうことがワンサカ書いてあるんですよ。

足下に咲いている花はアネモネ。この花の花言葉は「あなたを愛する」「恋の苦しみ」「はかない恋」など、恋愛に関するものが多く見受けられます。

一種ふしだらな印象の性的イメージを纏うイブに対して、画面左側のアダムに関するイメージは対照的です。

アダムの横にクジャクがいるのがわかるでしょうか。クジャクはその羽根にある眼状班から、警戒、凝視を象徴するといわれています。また、咲いている花はシャクナゲで、こちらも「警戒」という花言葉を持ちます。

アダムの強ばった表情と握りしめた拳の訳が、背景に描き込まれた動植物よって補完されているのですね。知識や理解力が必要ですが、これが読み解けると、面白さが増しますね。

Gustav Klimt 001

2枚目の絵は、Gustav Klimt が描いたアダムとイブです。1917年から1918年にかけて描かれました。Byam Shaw のアダムとイブに構図が似ていますね。もともと典型的なのかもしれませんが、ひょっとしたらどこかで見て影響を受けたのかもしれません。

この絵でもイブは華やかで女性の魅力に満ちているように描かれ、対するアダムは苦悶の表情を浮かべています。おそらくこの絵でも描かれているのは、「性的誘惑に抗うアダム」なんでしょう。ただ、一緒に描かれたものに違いが見られます。

足下に咲くのは同じくアネモネですが、もうひとつ、毛皮のようなものが見えますね。いわゆるヒョウ柄ですが、前出の『動物シンボル辞典』では、ヒョウとパンサーが区別されていて、持っている象徴的意味も違います。

ヒョウはライオンと同じように誇りや自尊心の象徴で、紋章などに多く使われています。対するパンサーは官能的快楽の象徴なんだそうです。この絵ではパンサーとして使われていると考えるとしっくりきます。

どちらの絵も、一見するとイブの美しさに目を奪われますが、欲望に抗う苦悩がテーマになっているところが面白いですね。無理すんな、アダム!と言ってやりたいところです(笑)

KSDD

KSDD_01

DDとはアイドルヲタ用語で「誰でも大好き」つまり、複数のアイドル、アイドルグループを応援するファンのこと。昔は博愛主義的に捉える向きもあったようですが、現在では優柔不断、無節操、浮気性とみられ、蔑称として使われることのほうが多いようです。KSDDはそれをさらに強調して言う表現で、糞DD(くそでぃーでぃー)と読みます。

最近ではこれをTシャツにして着るのが一部ではやっているようで、当初は黒やグレーなど無彩色に限られていたのが、ここへ来て多カラー化!ナタリーで販売されています。

KSDD Tシャツ2.0|ナタリーストア

この流れはある種DD側の開き直りで、DDというスタイルの復権を目論んでいるようでもあり、多カラー化もその流れを後押しする動きとして注目される…というほどのことでもないか。

特定の色の服を着るという行為は、アイドルファンにとって特定のアイドルを応援することと同義です。そんな中DDがあえて色付きKSDDTシャツを選ぶのはなぜでしょう。「さまざまな色を着回すことでDDを表現したい」ってことなんですか。ふーん。DD道、奥が深い。

DDは、一度特定のアイドルに熱をあげた後だと若干バツが悪い印象がありますね。某紅白初出場5人組アイドルグループ界隈でも、DD化はからかいや侮蔑の対象であることが多いです。

特に私のように入れあげたアイドルが初めてのアイドルだった場合は、フェスティバルや合同イベントなどでだんだんと他アイドルを知ることによりDD化することがままあります。そしてさらに症状が進むと、はじめに入れあげていたアイドルのファンを辞めて他のアイドルを応援しはじめることもあり、この状態をアイドルヲタ界隈では、悲しみを込めて「他界」と呼びます。(アイドルヲタ用語の解説はケーシー高峯の漫談みたいですね。)

アイドルを応援する際に優先されるものには個人差があって、地下アイドルを発掘して応援するファンにとっては、そのアイドルがメジャーな存在になった時点で自分の役割は終わったと考えることもあるだろうし、アイドルとの接触(握手会やサイン会に参加する)や認知(顔や名前を覚えてもらう)を重視する向きには、それが達成された場合や、逆に叶わなくなった場合に、他界することは往々にしてあることのようです。

先日Twitterで「このたび○○を応援するのを辞めるので持っているグッズ類を譲ります」というつぶやきを読み驚きました。こんなにハッキリ宣言して他界することもあるんだなあと。

やっぱり「アイドルが好き」というのは疑似恋愛なんでしょうかねえ。私は違うと思っているのですが、一途であることが尊ばれ、ひとりに決めないのはよくないとされるのは似ていますよね。私は自由恋愛肯定派だからDDも否定しませんが、それでも今までとは違うアイドルにだだだっと傾倒していくのを見るのはいい気分ではありませんね。

私ですか?私はDDではありませんよ。℃-uteや女子流も好きですが、全然違います。軸足はしっかり決まっていてまったくブレはありません。こんなのDDのうちに入らないんですって!ホントですよ!(笑)

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