ちどりのあしあと - 2004年05月

Home > 2004年05月

2004年05月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

死ぬまでにしたい10のこと

先日彼女が『死ぬまでにしたい10のこと』という映画を観てきました。余命2ヶ月と宣告された23歳の女性が、死ぬまでにしたいことを10個リストアップして実行していくというお話…らしいです。私は未見です。因みに彼女の評価は、なんと!『マルコヴィッチの穴』と同じ6点(10点満点)でした!

この映画の話になると、まあだいたい、「余命幾ばくもない状況で、自分なら何をするか」という話になりますわな。うちも例外ではありません。そこでいろいろと考えてみたものの、そんなに簡単に思い付くものではないんですねえ。

映画の主人公はいったい何をしたかったかというと、

1.娘たちに毎日「愛してる」という。
2.娘たちの気に入る新しいママを見つける。
3.娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する。
4.家族でビーチへ行く。
5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
6.思っていることを話す。
7.夫以外の男の人とつきあってみる。
8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑をする。
9.刑務所にいるパパに会いに行く。
10.爪とヘアスタイルを変える。

と、こんな具合です。

で、私が思い付いたのは、

1. スイスロールを丸かじりする。
2. バームクーヘンを丸かじりする。
3. カステラを丸かじりする。
4. かまぼこを板付きで丸かじりする。
5. ……

…もういいですね。

「それくらいのこと簡単にできるんじゃない?」とお思いかもしれませんが、ケチで小心者の私にはとてもできません。それに、今やってしまったら、いざ余命幾ばくもない状況になったときに、することがなくなっちゃうじゃないですか。その時まで楽しみにとっておくことにします。

プライベート・ライアン

昨晩、テレビ東京で『プライベート・ライアン』を見た。この日は前編で、後編は来週だって。

98年公開だが初見。噂には聞いていたが、冒頭30分に渡って延々と続く戦闘シーンにはびっくらこいた。まだ半分しか見てないからお話の評価はできないけど、戦闘シーンはどれも素晴らしい。血みどろドロドロで展開されるヒトとヒトとの殺し合いが素晴らしいはずはないのだが、これだけ恐怖心を抱かせる戦争映画は稀なんじゃないかな。まあ、そんなに、戦争映画のこと知らないで言ってるんだけどさ。

仕事部屋の小さなボロテレビで見ても怖くて怖くて、ただ単純に、その場にいたくねえなあと思いました。私はイヤです、戦争に行くの。ドンクサイからすぐ死ぬと思うんだよねえ。どう考えてもあそこにいて生き残れる気がしない。ああやだやだ。

冒頭のシーンが終わった後は、遠くでタタタタタと機関銃の音がするだけでドキドキしてしまう。いつどこから撃たれるかわからないようなところを行軍するのを見ているだけでつらい。こりゃ、敵も味方も民間人も関係ねえと、そんな風になるのもむべなるかなと、子鹿のハートを持つ私は思いましたですよ。

放送日は前から決まっていたわけだから偶然だろうが、ちょうどいい具合に、有事関連7法案が衆議院を通過しちまったよ。「国民保護」なんて、シュガーコーティングした言葉でごまかして、戦争のできる国にするために必死だな。

トム・ハンクス演じる大尉が、今までに死んだ部下を想い「1人の死で10人が救われたと考えるようにしている。そうでなきゃやってられない。」と語る。兵隊も国民なんだから。10人のためだっていったって、戦争に命を賭けるなんて馬鹿馬鹿しいよ。

戦争には行きたくない。戦争で死にたくない。戦争で殺したくもない。それから、子供を戦争に行かせたくない。戦争で死なせたくない。戦争で殺させたくない。

そういう気持ちが湧き上がってくる映画だった。故に『プライベート・ライアン』は一級の反戦映画だと思うよ。まだ半分しか見てないけど。


憲法前文をちょっとだけ読む

憲法記念日に憲法を読んでみる。前文のはじめの2項だけね。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


『主権在民』である。国を動かす権力は国民ひとりひとりが持っているのだぞ、ということである。

でも、国民ひとりひとりが、いつも政治のことを議論したり決めたりするのは大変骨が折れるので、国民のために働きたいという人たちに、国民が持っている権力を預けて働かせているのである。

ここで肝心なのは、「働かせている」のであって「働いてもらってありがたいのう」ではないということだ。なんといっても国民がいちばん偉いのである。ところが日本人には、権力を持っている者についへりくだってしまう癖がある。こいつがとても厄介だ。

ともあれ憲法では、本来権力を持っている国民と、国民の代表として権力を担っている国会や内閣や裁判所とが、はっきり区別されている。

どうも最近この辺りがうやむやになっている気がしてならない。いちばん偉いのは国民のはずなのに、いちばん偉そうにしているのは国民か、はたまた政府か。

イラクで人質になった人たちに、救出費用を請求するという一件にしても、決して彼らは罪人ではないのだから、政府に迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたという気持ちは、道義としてあっても、お金を払うような問題ではないはずだ。

そもそも今回、人質救出に使われたのは、国民が税金として、これでしっかり国政をおやりなさいよと、政府に任せたお金であるのだから、国民を救出するために使うのは、至極まっとうなのである。

それを「自業自得」と言って、国民の保護をおろそかにするような政府は、甚だしく主従関係をはき違えているのである。ましてや経費を請求するとは何様のつもりじゃ!と怒って良いところなのだ。

気が重いのは、そう言って怒るよりむしろ、国に迷惑をかけやがって!と、政府と同じ側に立ってものを言う国民が多かったことなのだ。

近頃いよいよ現実味を帯びている改憲論においても、政府は圧倒的に改憲側に傾いている。何をどうごまかしても、改憲の主眼は自衛隊を軍隊として認めて、戦争のできる国にしようということなのは明らかだ。

そして憲法前文には、国民は政府が戦争を起こさないように気をつけなさい、と実にはっきりと書いてある。今まさに国民は、政府に対して厳しく警告するべき時なのだ。

ただしこれは、国民が戦争を望まない、ということが大前提なのだ。小泉首相が何を言ったって、国民がダメだといえば彼は何もできない。それが民主主義というものだ。主権在民というものだ。

Home > 2004年05月

My Contact

Flickr
Twitter

Banners

free_rice_banner

Mail Form

名前:
メール:
件名:
本文:

Recent Comments
Recent Trackback
Links
Archives
Categories
Meta
Feeds

Page Top

QLOOKアクセス解析
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。