ちどりのあしあと - 2004年02月

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2004年02月

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追悼・網野善彦

歴史家の網野善彦氏が亡くなったそうだ。『無縁・公界・楽』『異形の王権』『日本論の視座』など、実に刺激的な日本像を描き出した歴史家だった。私が学生だった頃がちょうど網野歴史学が隆盛を極めていた頃ではなかっただろうか。日本中世の語り物文学、なんていうゼミにいた私は、アミノサン、アミノサン、と教授がいうのをよく聞かされたものだった。

2月11日は『建国記念の日』だったが、毎年この日が来ると、その網野さんのことを思い出す。この日はかつて『紀元節』と呼ばれていたわけだが、彼はこれを、全く根拠のない架空の日だとして痛烈に批判しているのだ。

『紀元節』というのは、まあ簡単にいえば、神武天皇の即位した日を、明治政府が日本の紀元として記念日にしたものだが、元になったのは『日本書紀』という神話で、そこに書かれている日付は科学的根拠に基づいたものではなく、さらにこれを太陰暦からグレゴリオ暦に置き換えたものだからますます怪しいものになってしまった。

戦後一旦は廃止されたが、1966年に『建国記念の日』として復活。しかしこのときはさすがにこれを「日本が建国された日だ」とは言い切れず、「建国をしのび、国を愛する心を養う」などということを趣旨とし、建国された日とは関係ないことを示すために『建国記念日』ではなく『建国記念の日』としたんですってよ、奥さん!

と、そのようなことを私は網野さんの本を読んでから知ったのだ。彼はさらに、日の丸・君が代を国旗・国歌とすることにも猛烈に反対した。

 私自身は、戦争中、友人を殴打、足蹴にしてはばからぬ軍人や軍国主義的教官の横暴を体験しており、その背後にたえず存在した日の丸・君が代を国旗・国歌として認めることは断じてできない。
 それは個人の感情といわれるかもしれないが、この法律は、二月十一日という戦前の紀元節、神武天皇の即位の日というまったく架空の日を「建国記念の日」と定める国家の、国旗・国歌を法制化したのであり、いかに解釈を変えようと、これが戦前の日の丸・君が代と基本的に異なるものでないことは明白な事実である。このように虚偽に立脚した国家を象徴し、讃えることを法の名の下で定めたのが、この国旗・国歌法であり、虚構の国を「愛する」ことなど私には不可能である。それゆえ、私はこの法に従うことを固く拒否する。(『「日本」とは何か』p.20)


私には戦争体験がないけれど、日本という国を虚構だと言い放つこの主張には強く共感する。網野さんは、中世日本研究を武器に、現代日本の矛盾を撃ち続けたのだ。合掌。

spamとSPAM

望まない迷惑メールのことをスパム(spam:もうひとつと区別するために小文字で表記する)と呼びますが、語源はモンティ・パイソンのコント『スパム・スケッチ』から来ているようです。

元来スパム(SPAM:こっちは大文字)ってのはアメリカ製ランチョンミートの缶詰の商品名なんですが、コントでは、カフェで食事を注文しようとすると、どのメニューにもスパムが入っていて、スパム抜きにしてくれと頼むと思いっきり拒否されてしまう、とそんな筋なのです。

日本語に翻訳された台本がありますから読んでみてください。いやあ文字だけでもモンティ・パイソンは面白いねえ。

と思ったら!なんと動画を丸ごと乗っけているサイトがあったよ。スレスレだな…いや、アウトかも。スパム・ソングが聴けるよ。いつまであるかわからないのでこっそり急げ!

t.A.T.u、消滅へ…

チドリアンでは昨年のちょうど今頃、彼女たちのことを絶賛したのですが、その後はまあご存じの通りの騒動により、すっかり「お騒がせ」とか「ドタキャン」とか呼ばれるようになってしまって、音楽はどこへ?といった感じです。

そこへ持ってきてこの見出し。あらら…とうとう、と思って記事を読むと、t.A.T.uの2人が、プロデューサーのイワン・シャポヴァロフと手を切りたがっているという話。

ユーリャ(ショートカットの子ね)曰く「イワンは、わたしたちの音楽活動のプランはそっちのけで、スキャンダルをけしかけることばかり考えているわ。ファンは絶対にスキャンダルよりも新曲とニューアルバムを望んでいるはずよ。」

ようやく気付いたか…。

記事の後半にもありますが、私もシャポヴァロフはもっとできる奴だと思っていたのです。楽曲、PVの出来が素晴らしかったですから。しかしここまでの経緯を見てくるとどうやら買いかぶりだったかな、と。

昨年絶賛したときには知らなかったのですが、t.A.T.uプロジェクトにおける重要人物が、ユーリャとレーナの2人やシャポP以外にもいたのです。『t.A.T.u.サウンドの謎』あたりを読んでみてください。

まずは『Я сошла с ума(=All The Things She Said)』『Нас не догонят(=Not Gonna Get Us)』などt.A.T.uの代表曲のほとんどを作曲したセルゲイ・ガロヤン(Сергей Галоян)。彼はすごい。荒削りで凶暴さ漲るトラックが、私の秘めたるパンク魂を揺さぶります。おそらく彼は現在20代前半のはず。これらの曲を作ったときは17歳だったというからびっくらこきます。しかも宅録だって!それが、儲けの取り分でシャポPともめてあえなくクビ。現在裁判に訴えているらしい。彼にはもっと音楽やって欲しいなあ。

そしてもうひとり、初期のディレクター・作詞家として、t.A.T.uのイメージコンセプトを作り上げたといわれるエレーナ・キーペル (Елена Кипер)。上記のガロヤン君の曲に歌詞を付けたのが彼女なのです。t.A.T.uが過激なイメージを前面に押し出すようになると、彼女はプロジェクトから離れます。当初の構想からかけ離れてしまったのが原因のようですが、彼女もまたガロヤン君と同じようにほとんどギャラをもらえず、現在裁判中だそうです。プロジェクトを離れた後に彼女がНИЧЬЯというユニットで発表した曲『НИЧЬЯ(=NICHIYA,nobody's)』を聴いてみてください。声が違うだけで、まんまt.A.T.uですから。

あらためて考えると、t.A.T.uプロジェクトとは、ロシアの偉大な素人さんたちによる奇跡のケミストリーだったのではないか。しかしそれは一瞬の輝きに過ぎませんでした。ここへ来てユーリャとレーナが、t.A.T.uの名前を捨てて前進する決意をしたことに拍手を送りたいと思います。この先、ガロヤンやキーベルと手を結ぶのか、新たな道を模索するのか、それはわかりません。どの道に進むにせよ、彼女たちが再び輝きを放つことを期待して、新たな楽曲を待つことにいたしましょう。

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